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「祝福への道」
創世記35:2,3 ルカ17:11〜19 わたしたちは日々に感謝を生きているでしょうか。わたしに関しては胸に手を当てるまでもなく、「昼も夜も」不平、不満、憤り、嘆き〜が食物でありました。
わたしたちが今、ここにいること。それは、その初めに無条件の愛の中にいた事実の上にあります。それがわたしたちの否定し得ない原事実です。
新しい時はいつも「愛」の内に築かれるのです。弘前西教会の始まりも、たくさんの反対以上に、妻が、両親が、優子さんが、笠原先生がいてくれました。他の全てに勝る愛が満ちていました。そして全てが整えられていきました。この度も、妻が、家族が、牛山兄長谷川兄姉〜教会の皆がいます。感謝が満ち溢れます。
ヤコブは罪の故、」逃亡を余儀なくします。しかし荒れ野で天使と出会います。そして今、故郷に帰ります。そこに祭壇を築きます。感謝が時を供えます。
主に癒やされた10人の内、感謝するために帰ってきたのはたった一人のサマリア人だけでした。「この外国人の他に、神を賛美する者はいなかったのか」と主は悲しまれます。「感謝するという行為こそ人間の為し得る最も美しい行為」(バルト)です。「告白・賛美・感謝」は聖書では一つのこと、祝福の道です。