宣教

「神のボディ・ランゲージ」

 イザヤ35:4 マルコ7:31〜37
 ある時、主イエスのところに、耳が聞こえず、舌が回らない人が連れてこられました。この人は、当時、教育を受けていない無知な者であると差別されていました。群衆は彼を見世物にしようと連れて来ましたが、主は彼と特別な関係を持ちたいと、一対一のやり取りを望みました。
 神は私たちと特別な関係を持ちたいと、一対一の対話を望んでおられます。それは、神を信じるようになったきっかけが皆違うことを見ても明らかです。耳が聞こえず、舌が回らない人には、その人が分かるように、神の方からコミュニケーション方法を探ってくださるのです。何よりも、主イエス・キリストご自身が、目に見えない神からの、目に見えるコミュニケーション・ツールなのです。
 この方を受け入れ、信じることは、神とのコミュニケーションの始まりを意味します。日々のやり取りの中で、あなたの目は開かれ、耳は聞こえるようになり、口がきけるようになります。「神を畏れることは知恵の初め」だと聖書が語るように、キリストの十字架に現された究極の弱さこそ、究極の強さであることの意味を知ることになるのです。