156センチの視線

「すべての時は御手の中」

 過ぐる13日の土曜日、いつものように集会のため朝早く家を出て弘前に向かいました。牧師館で新子さんに会うと、「お父さん、珠生さんって上田さんの妹さんじゃない?」と。突然のことでびっくりしました。火葬、前夜式には出席できませんでしたが葬式に出席することができました。45歳でした。
 就学前のかわいい男の子二人の姿に込み上げてくる熱いものを禁じえませんでした。
 上田さん、お母様、そして、上田さんの立派に成長した四人のお子さんたちにも会いました。かつて、どんな葬式でも感じたことのない不思議な思いにすっぽりと包まれた時を過ごしました。
 「今、生きてここに在る」ことの不思議さが無条件に、来るべき時と共に包み込まれました。「生きてあることの今」のたまゆらのような生が圧倒されるかのような、「神の然り」が静かに全身を包んだように感じました。思いをはるかに超えた命の繋がりの今に深く出会うことができたように感じました。
 過去も今もこれからも、すべての時をご自身の御手の中におさめておられるお方に、珠生さんとご遺族をお委ねしました。深き慰めを祈りつつ。
 1873年月24日(143年前)は、キリシタン禁制高札撤去の日でした。先人の信仰と祈りを感謝しつつの受難節を、と祈る日々です。