宣教

「人を生かす十字架の愛」

創世記2:7  Iヨハネ4:9〜10
 あの日、神の都エルサレムの町外れ、しゃれこうべという不吉な名前がつけられた丘の上で、神の御子は十字架にかかりました。人々は黙して語らない御子を激しくむち打ち、罵り、つばを吐きかけ、ささくれだった木にその手を釘づけました。その時、御子の手を押さえていたのは、兵士たちのように見えました。しかし、御子の手をしっかりと押さえつけていたのは、他でもない、神ご自身だったのです。
 親になって初めて分かったことがあります。それは、自分の愛する子を、罪を悔い改めることのない人、感謝しない人、無関心な人のために献げることは、不可能であるということです。自分の愛する子を、十字架の木に押さえつけて釘付けられる親がどこにいるでしょうか?そんな人はいません。しかし、「人にはできないが神にはできる」という御言葉の通り、神の愛は人の愛をはるかに超えるものであることが、あの十字架によって示されたのです。それは、私たちの罪が赦され、永遠の命に至る道を開くために絶対に避けては通れない、神の忍耐と愛の計画だったのです。
 愛なしでは生きられない存在である人間は、この愛によって生かされるように設計されているのです。