156センチの視線
「奇跡を見る目」
先週、母の兄からメールがきました。この兄は長男で、祖父の会社を引き継ぎ、長い間地域社会に貢献してきた方でした。また、私たち親族をまとめ、自分のことよりも相手のことを考えて生きる姿を示してきた素晴らしい方です。そんな伯父からの連絡は、私の父の学長退任の慰労会をした、ということでした。そうやって、いつも私たち家族を気遣ってくださるのです。
先日、父が川崎駅を歩いていると、義援金を呼びかける声が聞こえたといいます。見ると、そこには、熊本の被災者のために声を枯らして訴える伯父の姿がありました。高齢になってなお、自分の体に鞭打って他者のために奉仕する姿に、父は涙があふれたそうです。
私たち親族は全くと言っていいほど争いをしたことがありません。それは、普通のことだと思っていました。それが親戚というものだと思っていました。しかし、教会に来て、多くの方々のお話を伺い、それは決して普通ではなく、奇蹟的なことなのだということを知りました。
神はアブラムに言われました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」
今、目の前に広がる景色にどれだけの奇蹟を数えることができるでしょうか。もし、一つでも多く数えることができたなら、神の偉大さと自分の小ささを知ることができるでしょう。こんなちっぽけな私をも主は愛してくださる。感謝が溢れます。