宣教

11月20日「喜びの源泉」

ネヘミヤ8:9〜12 フィリピ4:4〜7
  聖書は、喜ぶことの重要性を語っています。それは、できれば喜ぶ、という程度ではなく、喜びなさいという強い命令として語られるほどです。なぜ、そこまで喜ぶことを教えているのでしょうか?
 かつて、自分たちの人生を悔いながら、涙を流して悲しみ続ける人たちに向かって、ネヘミヤは言いました。「悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたがたの力の源である。」これは祝宴のすすめです。しかし、日々の暮らしの中で、特に病や苦しみの中で、祝宴を開いて喜ぶことができるでしょうか?それは難しいことかもしれません。しかし、喜ぶことが思いもかけない結果をもたらすことがあります。笑顔が病気に効果があるように、喜びは私たちにとって不可欠な要素なのです。
 断食にも修練が必要であるのと同様に、喜ぶ人になるためにも修練が必要です。喜びとは、試練や病の中で、「それにもかかわらず」と言って待ったをかける挑戦的なものです。世の真逆をいく、この法則こそ神の国の原則です。十字架の上で敵を赦し、その後の復活を信じて疑わなかったキリストを見上げること。それが、喜びの力の源です。