156センチの視線
12月18日「優しい神様が好きだから」
先週の土曜日、サムエル保育園のクリスマスに招待されました。
生誕劇が始まると、子どもたちの顔は真剣そのもの。練習を続けてきた成果でしょうか、素晴らしい演技と心のこもった歌声で物語は進んでいきました。キリストの誕生を祝うために、子どもたちが素直にそのことを受け入れている姿を見て、主の喜ばれる御顔が見えるようでした。
王の王、主の主である神の御子が生まれるのです。本来であれば、この地上における最も素晴らしいベッドを用意し、特別に訓練された一級の助産師を備え、全世界の民が注目すべき生誕となるはずでした。しかし、すべての宿に断られ、暗く汚らしい馬小屋に追いやられる姿は、ご自分の創造された世界でありながら、神などいない、必要ない、と言われ続け、拒絶されてきた主の姿が現れているようでした。
今日、クリスマスの日に4歳の娘が洗礼を受けます。ただ、「優しい神様が好きだから。」すべての民が、この純粋な信仰を持つことができたなら、神は十字架で御子を失わずにすんだのかもしれない。しかし、私たちを生かすため、御子は犠牲となられたのです。主よ、生まれてくださってありがとうございます。私のような者のために。