宣教

1月1日「何があっても大丈夫」        

申命記11:11〜12
 神はイスラエルの民に命じて、約束の地へ向かわせました。しかし、約束の地には、すでに強大な民が住んでいたために、彼らは進むのをやめました。そのため、神は彼らを約束の地に入らせず、何もない荒野で訓練しました。ただ神に信頼し、失敗を繰り返さないためです。
 40年後、約束の地を眼前にしたモーセは自分たちのこれまでの歩みを振り返り、約束の地が素晴らしい場所であることを民に宣教します。しかし、今から考えてみれば、約束の地と呼ばれるエフライム周辺は、エジプトよりも貧弱な土地でした。しかし、そこは確実に「エジプトの土地とは違う」とモーセは言います。その違いとは、エジプト時代よりも楽して暮らせるというような意味ではありません。人生に山があり、谷があっても、いつも神が共にいてくださる、という信仰を持つこと。それが約束の地に入ろうとする人々の中に形成されてきた神の国への招待状だったのです。
 今年も何があるか分かりません。しかし、何があっても大丈夫。あなたに与えられた場所は、「主が年の始から年の終わりまで、常に目を注いでおられる」ところだからです。