宣教

5月28日「人を救うために」

 サムエル記上21:11〜22:2 ヘブライ2:18
 ダビデは時代の寵児と言えるような黄金期を迎えていました。やることなすこと、すべてがうまくいきました。しかし、その活躍ぶりが王の妬みを生じさせ、不当に扱われ、命を狙われ、大切なものを次々に失っていきました。どん底の中で、彼は人を恐れて失敗し、今や暗い洞窟だけが彼の居場所でした。
 落ちぶれたダビデの姿を通して、聖書が語っているのは理不尽な扱いや、失敗を避けることではなく、そのことについて向き合う時間を通して、神が用意している次の段階へと進んでいくことの重要性です。失敗という洞窟に落ち込んだダビデのもとに、同じような境遇の人々が自発的に集まりました。能力のある人々をかき集めた初代の王とは大きく異なる神の計画が進んでいくことになります。そのために、神は人の弱さを用いられました。
 主イエスは、人の弱さに同情できる方です。理不尽なことが起きた時、十字架を見上げると、主こそ不当な扱いを受けた方であることを知ります。しかし、その弱さに働きたもう主は、同時に復活の主なのです。
 人の目に失敗と思えるような十字架の出来事も、神の計画の中で祝福の計画になっていくのです。