宣教

11月5日「知に勝る領域」

 ヨハネ11:17〜27
 主イエスの友、ラザロが病のために死んでしまいました。弟を亡くした姉たちは嘆き悲しみながら、遅れて現れた主に揃って言います。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」
 神がいるなら、そして、その神が愛だというのなら、なぜこの世界には悲しみが満ち、死という別れが存在しているのでしょうか。それは、等しく死というものを与えられている人間がもつ根源的な叫びではないでしょうか?
 悲しみの中で、姉のマルタは愛する弟の消息を知識に求めました。あらゆることを引き合いに出し、自分を納得させようと必死でした。しかし、どんな知識も、彼女を癒す力はありませんでしたし、まして弟を死から復活させることはできません。ところが、嘆き悲しむ彼女の前にいる方は、彼女の思いを理解しながら言いました。「わたしを信じるか?」
 その方こそ十字架と復活のイエス・キリストです。主は人の知識や経験では到達できない場所へ私たちを導きたいのです。そこは、信じる人だけが見ることができる、奇蹟と呼ばれる領域なのです。