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12月17日「捨てられた子どもたち」

アフリカのウガンダには、HIVや疫病、性の問題、汚職が蔓延しています。特に、女性に子どもが産まれると男性はどこかへ消え去り、経済力のない女性はまた別の男性と一緒になって、またその男性との間に子どもをもうけ、またしても男性は消え去るという連鎖を繰り返し、女性たちは苦渋の決断として、担いきれなくなった子どもたちを捨てるそうです。ウガンダのあちこちで、捨てられた子供たちの叫び声が、時には少年兵として、時には売春婦として、上がってくるのです。ウガンダの人々は信仰を持ち、時々教会に行く、という習慣はありますが、社会は腐敗しています。この問題は、私たちが目指す教会の方向性に示唆を与えてくれています。
 そのウガンダに、Watoto(スワヒリ語で「子どもたち」)という共同体があります。捨てられた子どもたちをリーダーとして育て、社会に戻し、国を変革することを目指しています。Watotoは教会ですが、村のようであり、家族のようであり、人を育てる教育機関でもあります。その共同体のアジア地区の責任者の方が訪ねてくれました。一緒に東奥義塾にお連れして、塾長とも良い交わりを持てました。
 ケニアのコイノニア同様、捨てられた一人の魂が蘇っていく物語は、まさに聖書の物語であり、十字架と復活の主の物語だと、考えさせられました。