156センチの視線
1月14日「よき力に守られ、前進の力が!」
2018年が始まって、早くも半月が過ぎようとしています。変な言い方ですが、まだこの年に馴染めないでいます。緊張しっぱなしです。恥ずかしいことですが、座っていても横になっていても出てくるのは溜息ばかり。気を付けているのですがつい、妻に、「どうしたの?」と度々言われています。教会のこれからのことを考える時、自分の不十分さ、心の偏狭さ、愛の無さに気付く時、言動のお落差に気付く時、…傲慢の徴に他ならない落ち込みに振り回されます。
7日の朝の祈りの時、「『ああ』というため息が不安な魂から発せられる。そして彼らの目が偉大な救い主を見上げる時、このため息は何よりも自分のための力強い祈りの力となる。」(D・ボンヘッファー)の言葉に出会い慰めを与えられました。
傲慢にも、自分から神様に近づこうともがいていたのです。まったくその逆で、神様の方からわたしに近づいてこられ、ため息すら祝福に変えられる恵みを忘れてしまっていました。「えふりこぎ」から「出エジプト」の時を告げられました。
そんな7日の礼拝に、教え子の工藤さんが見えられました。清野さんに続いて若い方が導かれ感謝が溢れました。「教会は信じる者の希望の群れ」(ニーバー)です。よき力に守られ、前進の力が!