宣教

1月21日「神の約束を生きる」

ヨハネ16:25〜33
 主イエスは、神の国の福音をたとえ話の奥に隠して、求めるものだけが理解できるように鍵をかけました。すべてのたとえ話は、十字架と復活という光に照らされてはじめて鍵が開き、神の御心とその啓示である御子の出来事を示すことになるのです。
 あの日、直後に激しい試練にさらされることを感じつつも、弟子たちは目の前のイエスを救い主として信じ、従う決意を新たにしていました。しかし、彼らに決定的に欠けていたのは、十字架と復活という体験でした。主は「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る」と弟子たちの逃亡を予見し、それでもなお「わたしはひとりではない」と神がともにいてくださるという確信に支えられていました。
 主の言葉通り、旧約の時代に預言されていたことが成就しました。それは、救い主が苦難し、勝利したということです。罪と死に縛られているこの世にあって、唯一、その束縛から解放してくださる方は、十字架と復活のイエス・キリストをおいて他に存在しません。その方を見上げて歩む時、世とは何か、勝利とは何か、罪とは何か、死とは何かが浮かび上がってきます。また、そのすべての解決は、この方のもとにあることも。