宣教

1月28日「神さまの恵み」

 エフェソ2:1〜9
 教会で使う神の「恵」、「恩寵」(Divine Grace)とは何でしょうか。イエス・キリストの十字架の死と復活。日本から遠く離れた、エルサレムで、今から二千年程前の過去に起きたこの事件について解説をしても多くの人にとって、それが自分の「罪」のためであったことを信じることは難しいことでしょう。人は自分が、善良な人間ではないにしろ「罪人」だと認めることに抵抗を持つからではないでしょうか。
 さらに、イエス・キリストの十字架の死と復活が歴史上の事実だとしても私の罪と、この事実との間にどんな論理的な関係があるのでしょう。多くの人にとって、二千年前に、エルサレムで起きた事件は、時間と空間と論理の「不連続」しかないでしょう。
 しかし、私たちクリスチャンはこの「不連続」を信じ受け入れて救われました。これを信じる時、神様の恩寵がその人の中に、その力を現し始めます。私とイエス様の十字架と復活の出来事が、連続していたことを恩寵によって知るのです。私たちは、確かにこの恩寵によって変えられる(transformation)のです。これは、十字架の死と復活を信じる人に与えられる神の約束です。恩寵によって信仰告白の文言に心から「アーメン」と言えるのです。