宣教

3月4日「王の祭司として」

聖書全体を通して語られる神の計画は、すべての人の救いに関するものであり、それはイエス・キリストの十字架で頂点に達します。神の愛は深く、主イエスは人の罪を取り扱う以前から、その人の傷を癒やし、束縛から解放し、悪霊を追い出しました。それは、旧約の時代から変わらぬ神の姿勢です。
 イスラエルの民はエジプトの地で奴隷として厳しい苦役と虐殺の中で叫び続けていました。神はその人々の声を聞き、一人の祭司、モーセを立て、彼らの救いのために、その祭司にご自身の権威を与えました。それは、「私が共にいる」という約束とともに果たされました。
 エジプトを脱出した民は、人々を「わたしの宝」と呼んで愛してくださる神との出会いを果たしたのです。まさに新しい時代のはじまりでした。そして、それは民の一人ひとりに語られたことでしたが、不幸にも、イスラエルはその言葉を拒絶し、祭司であるモーセ一人だけを代表として神のもとに派遣し、自分たちは不信仰の罪に落ちていきました。
 しかし、神の計画は頓挫したわけではありません。すべての人々を奴隷状態から解放し、神の祭司としての新しい人生を用意し、そこで宝とされていることを喜ぶ生涯が、今目の前にあるのです。