156センチの視線

3月11日「焦るな」「怒るな」「威張るな」「腐るな」「負けるな」

「休む以外に為すことなし」「休むことを一番の仕事とする」ことを余儀なくされての1ヵ月半、とても大切なことを学んだように思います。そればかりか、痛みと病気で断念していた「癒しのセミナー」に、場所が香川から東京に変わりましたが、受講できることになりました。「神のなさることは皆、時にかなって美しい」(伝道3:11)の御言葉を味わう祝福の時となりました。
「天が地を高く超えているように、(神様の思い)は、わたしたちの思いを超え、超えて高く超えて」(イザヤ55:9)います。そんな中、久しぶりに「あおいくま」を思い出しニヤリとしました。「焦るな」「怒るな」「威張るな」「腐るな」「負けるな」の頭文字です。「信ずる者は慌てることがない」(イザヤ28:16)のです。ひたすら「今、ここで」感謝することの大切さに目が開かれました。 「ないものではなく『ある』ものに感謝」することを。
華道家元池坊には「少なさは寂しいことでも貧相なことでもありません」との言い伝えがあるそうです。以前、横手で伝道巡回をしたとき、ある家庭の床の間の一輪のアイリスに心打たれたことを思い出しました。
どんな今にも溢れるばかりに注がれている神様
の愛の眼差しを想いつつ信じ探すこの頃です。