宣教

12月30日「神の評価」

ガラテヤ4:1〜7
 聖書は律法の下に生まれた者が、律法の下にいる者を解放することができると宣言しています。民俗学的に言えば、私たちはイスラエル人ではありませんし、律法の支配下にいたとは言えません。しかし、それでも聖書は私たちを律法の支配下にある者だと言い切るのです。
 旧約の時代、できる人とできない人という隔ての壁がありました。その壁は高く、自らの力では克服できないものだったのです。救い主イエスも、理想とかけ離れた場所で生まれ、自力では克服できないような困難にいくつも直面しました。それでもなお、主イエスはそこから人々を救い出すことができたのです。それはどのようにして可能となったのでしょうか?
 例えば、故郷ナザレに行かれたとき、主はどのような困難に直面されたでしょうか?そこで、主はどのような成果を上げることができたのでしょうか?もし、そのことを知っていたら、私たちは安心することができるでしょう。なぜなら、主はそこで何もすることはできなかった、つまり成果はゼロだったのです。
 今年、あなたは主が共にいてくださるという確信を与えられましたか?何か成果があったのでしょうか?もしないというのなら、主の十字架を見上げてください。そこには、どんな成果があったのでしょうか?