156センチの視線

4月7日「最善はこれから…」

神の時は、神への信仰に生きる人々によってもたらされます。「あなた方の内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神である」(フィリピ2:13)の御言葉に押し出されて歩みだした45年前(祈り始めたのはその3年前)でした。
 何も解っていませんでした。解っていたのは、「神様がいらっしゃるからどうにかなる」ということと、共に歩んでくれる妻がいてくれたことでした。皆の心配をよそに走り始めました。それが全てと言えばすべてでした。今思えば、それで正解でした。…そして今、何かを見失い始めている自分を感じています。神様の促しに対する「応答としての行動」に生きることです。
アブラハム75歳、モーセ80歳、マリア、ヨセフは若年で!「神の時」は、年齢、性別、知識…によりません。ただ、「はい」を生き、信じる者を通して現されます。まさしく、「最善はこれから…」(R・ブラウニング)なのです。
 「時」は、神様の守りと慈しみの力の中に開かれていきます。ひたすら聖霊に導きのもと、「主が共に、主と共に」の歩みへと一歩踏み出すよう促されています。肝心なのは、わたしの思いがどこに結び付き、何を信じ、従い続けていくかです。最善に導かれている今を感謝しつつ。