宣教

5月19日「口のある神」

サムエル上3:1〜10 マタイ6:5〜8
 「祈りは聞かれる」というのは、神を信じる人々の間で語られる常套句です。そして、それは真実でしょう。救い主、イエスの名によって祈ることの特権は、素晴らしい結果をもたらしてくださるのです。ですから、子どもが親のふところに飛び込むように、大胆に主のふところに飛び込むこと、これが祈りの本質だと思います。
 ところが、願い事を聞いていただいて、それで終了となる交わりが祈りだと勘違いすることがあります。親と子の会話のやり取りが一方通行だとしたら、それは健康な関係と言えるでしょうか。
 少年サムエルは主に仕えていましたが、祭壇の前で儀式を遂行するだけの生活の中で、神と交わったことがほとんどありませんでした。ですから、彼は神が自分に語りかけてくるなどと、考えたこともありませんでした。しかし、事実神は語りかけてくださる方であり、そのみ声によって人々と交わりをもってこられた方です。そして、サムエルも神の語りかけを聞いた時、まったく新しい歩みが始まったのです。それは、非常にチャレンジングな内容でした。しかし、彼はその挑戦を受け、やり遂げました。なぜなら、神はできないことを与える方ではないからです。