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9月15日「自由を与える命」
ルカ10:25〜37
永遠の命をどうやったら得られるか。それが律法学者の質問でした。永遠の命とは何かと考えてみると、この地上でずっと生きていくことでないことは明白です。であれば、永遠の命とは何なのでしょうか。
サマリア人のたとえ話は、世界的に有名な聖書のたとえ話であり、そのことのゆえにできた法制度もあるほどです。そればかりか、このたとえ話は、聖書の他の箇所と同等かそれ以上に色々な読み方ができ、立場や角度を変えると様々なものが見えてきます。
この地上での日常生活の中で、同じような場面にはめったに出くわさないかもしれません。しかし、このたとえ話は、たとえ同じ状況にならなくとも、私たちの存在を定義してくれます。それは、人は必ず何かに縛られているということです。
祭司やレビ人は立場や生活に縛られている人を示しています。また、手を差し伸べたサマリア人も、同胞のユダヤ人に対するスタンスに縛られていたはずです。被害を被ったユダヤ人も同じです。でも、サマリヤ人だけが、唯一、本当の自由を勝ち取っていた存在として語られているのです。
あなたは何に縛られていますか?手放すのは簡単ではありません。そこに十字架が立つのです。