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11月3日「神とともに生きる」

神学校で共同牧会という言葉を聞きました。その言葉は、牧師だけに適用されるものと、私は理解していました。
 初代教会の本質が入ってきてから、教会のチーム力が高まっています。一人ができなくても、誰かがそれを支える。どこかに出かける人がいれば、出かけない人たちが背後で祈る。伝道したいと願っている人がいれば、独りではなく、誰かと一緒に行く。そんな景色が教会のあちこちで見られるようになっています。今回、洗礼を受けられた女性のもとにも、牧師以外の方々が足繁く通われました。私が考えていた、牧会という言葉の理解は間違っていたことに気付かされています。
 以前は、牧師がする仕事を他の方に手伝ってもらうのは申し訳ないと考えていました。しかし、牧師の仕事についての概念さえも、以前と変化してしまいました。牧師の働きは「聖徒を整えること」と聖書にあるように、教会の方々が輝いて生きる、という本質を実現するためだと分かったのです。
 それでも、神の国の貢献者として忙しく動き回る方々を見て、自分よりも働いているな、と感じ、そのことを伝えると、「全然疲れないんです!」と。その言葉に励まされ、神とともに生きる素晴らしさを体現している方々の中に、キリストの姿を見ています。