宣教
12月1日「神に明け渡す信仰」
マタイ8:23〜27
小さな舟が嵐に遭い、波に飲まれそうになった時、主イエスは眠っておられました。激しく揺れ動く舟の中で、果たして眠ることなどできるでしょうか。しかし、聖書は確かに眠っていたのだと、当時の様子を記しています。
この記事は、主に「従う」というテーマの文脈の中にあります。ですから、この出来事もそのように伝わることを期待されていたのでしょう。
嵐とは、私たちの身の回りに起こる困難を示しているのだと思います。その中で、波に飲まれそうになる私たちは大騒ぎです。命の危険さえも感じさせるような出来事だからです。そのような問題が押し寄せてくる時、そこに眠っておられる神の御子がいるというのが、聖書の伝えようとすることです。
問題の中、祈り、叫びをあげようとも、神がまるで眠っているかのように応答しない時がありませんか。それは、神があなたを無視しているのではありません。また、主が眠っておられる姿は、絶対的な信頼によるものです。自分の思いを超えて、神の御心を第一とする姿です。神のみ心は嵐に遭うことではなく、嵐から救い出すことでした。目の前の問題が、神によって取り扱われていく計画を、主は信頼していたのです。