156センチの視線

1月19日「こんな者でさえ」

 先週、突然の訪問がありました。聖愛中高をご卒業の方でした。昨年、帰天された聖書科の嶺先生にお世話になったので、追悼の記念会をしたいとの申し出でした。もし、嶺先生がこのことを知ったら、どれほどお喜びになることでしょうか。
 翻って、自分自身の聖書科講師としての歩みを考える時、そのようなことがあり得るだろうかと疑問符が付きます。もちろん、私は嶺先生と違って常勤ではありませんし、担任を持つこともありません。週に一回きりの授業でのみ、顔を合わせるだけの関係性です。しかしお世辞にも、生徒のみなさんと良い関係を持っていると胸を張ることはできません。
 せっかく主が私のような者を高校に派遣してくださっているのに、応えることができていない自分と出会っています。朝の礼拝にしても、授業にしても、まったく手応えがありません。何年間も、試行錯誤してきましたが、どうしたらよい関係を築けるのか、良い授業ができるのか、もっと主のことを伝えられるのか。全くお手上げの状態が続いています。
 それでも、授業を終え、悶々としながら義塾の廊下を歩いていると、3年生が近寄ってきて言ってくれました。「先生の授業もう一度受けたいわ〜。」
 お世辞でもなんでもいい。主が遣わした天使だと、そう感じました。