宣教

1月19日「信仰によって生きる」

ハバクク2:1〜4
 先が見えず、過去を見れば後悔し、現実を見ればボロボロの状態の時、私たちは何処に目を向ければいいのでしょうか。イスラエルの現状もまさにそんな状態でした。
 そんな人々に、神は預言者を通して御言葉を語り続けました。ほとんどの預言者が語るのは「主に立ち帰ろう」という号令であり、忍耐して待ち続ける愛の神の姿でした。
 若い時、明確な目標がありませんでした。目標さえあれば、と無い物ねだりで欲張ってみても、自分が何をやりたいのかさえもわかりませんでした。では、神と出会った今は、明確な目標があるかと問うならば、未だ明確な目標はないと言ったほうがいいかもしれません。
 目標は持つことができる人とできない人がいるでしょう。目標を持つことは良いことですが、目標をもたないことは悪いことでしょうか。イスラエルの人たちすべてに、明確な目標はあったのでしょうか。
 いえ、彼らが持っていたのは、明確な目標ではなく、ただ信仰でした。それは、神が良くやったと声をかけてくださる日に向けられた信仰です。そして、これこそ、すべての人に与えられた約束であり、目標です。