宣教

4月12日「涙の理由」

ヨハネ11:17−44
 愛する友人ラザロの死に直面した人々を目にしたとき、主イエスは憤りを覚えました。人々の悲しむ姿を見て、どうして憤るのでしょうか。何に対してそれほどまでに腹を立てているのでしょうか。人々の不信仰でしょうか。
 人が死ぬ理由について、聖書には「罪の報酬は死」だと書かれています。また、「義人は一人もいない」とも書かれています。このことは、誰一人として、死を免れる人がいないことを見ても明らかです。人が罪に侵されていくことは、神の望む結果ではありませんでした。しかし、人は自らそれを選んだ、それが聖書の語る人間像です。
 主イエスが憤りを覚えたのは、人々の不信仰ではありません。罪それ自体に対して憤りを覚えたのです。罪が人々を縛り付け、神が与えようとしておられるすべての祝福を受けられない人々の悲しみ。その姿に主は涙を流されました。
 しかし、この方は罪とその報酬である死の前に無力ではありません。なぜなら、いのちを創造したのは、この方だからです。いえ、この方こそいのちだからです。