156センチの視線
5月17日「主に用いられる幸い」
コロナウィルスの影響が残る義塾に行くと、すべての先生方や職員の方々、生徒全員がマスクを着用しています。新しい年度になり、生徒たちはクラス替えがありましたが、なかなか直接会う機会がなく、寂しかったのではないかと思います。なぜそう思うのかというと、私が生徒たちに会えないのが寂しいからです!
廊下を歩いていると、昨年度に受け持ったクラスの生徒たちから声をかけられました。ある生徒は「またヒロロの集会に行きたい」と言い、また、ある生徒は私が帰ろうとする横をずっと付いてきて話をしてくれました。「こっちに用事があるの?」と聞くと「別にないけど、久しぶりに会ったから話しようと思って。」と言ってくれました。
私の授業が素晴らしいからだと皆さんは思うかもしれません。しかし、授業中は寝ていたり、全く関係のない話をしていたり、大騒ぎをしていた生徒たちですから、分からないものです。
どんな言葉が、行動が、主に用いられるか分かりません。ただ、主に行くように命じられたので、行っているに過ぎないのです。