宣教

7月26日「部屋とジーザスと私」

マタイ6:5〜8
 ある時、人々は「祈り方が分からないので教えてほしい」と主イエスの前に願い出ました。実は、主の祈りに続くこの箇所は、祈りの方法論を求める弟子たちへ、祈りとは何かという本質論を提示する主の恵みに満ちています。
 願いなさい、そうすれば与えられる、と私たちを祈りに導いてくださる主の言葉と約束は真実です。しかし、ここでは、そのような祈りだけが祈りではないことを教えているようです。つまり、「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め」る祈りです。これは、家に自分の部屋が与えられている人だけに適用できるのでしょうか。
 あなたには、生まれたときから部屋があるはずです。その部屋は誰も許可なく立ち入ることができない部屋です。家族や親しい友人でさえ、あなたの許可なしにその部屋の戸を開けることはできません。戸を開け閉めできるのはあなただけ。その部屋は、本当のあなたがいる場所です。
 実に主は、その部屋を神に向かって解放するように求めておられるのです。もし、あなたがこっそりとその戸を開けたなら、主はあなたの深い思いを受け取ってくださるでしょう。