宣教

8月23日「汚れに触れる救い主」

ルカ7:11〜17
 主イエスの歩みの中で、病が癒やされ、悪霊が追い出され、人々が解放されていく様子が事細かに書かれています。足がなえて動かない人、目が見えない人、口がきけない人、出血が止まらない人、さらに死んだ人が蘇る記事さえもあるのです。
 死は私たち人間の努力で乗り越えることができない問題の象徴として見ることができます。そして、死と死のような問題を引き起こす罪に対して、主が憤りを覚えられる様子も同時に描かれます。
 聖書は主が死に勝利された、と宣言します。罪に打ち克つという表現もありますが、死に勝利し、罪に打ち克つ方法はどのようなものだったのでしょうか。それは、罪と死をご自身が引き受ける、という方法でした。それがあの十字架です。
 人が触れたくないもの。触れてはならないもの。家畜小屋で生まれた救い主は、最初からその暗闇に触れるために、この地上に来られた方でした。
 あなたが抱える暗く寂しい部分。人が触れたくない部分、人に触れてほしくない部分でさえも、主は手を伸ばして触れてくださり、そこに神の光の御言葉とその約束を注いでくださいます。
 主の憐れみは、そこにこそ溢れているのです。