156センチの視線

8月30日「収穫の神に」

 刑務所での働きのために、いつもお祈りありがとうございます。当初、3名の方々と聖書の学びをはじめました。やがて、自分もキリストを信じたいという方が加えられるなど、その時々に主が素晴らしい方々を送ってくださり、前回は12名。これは、使っている教室が満席になったことを意味します。
 幸いなことに、継続して受講して下さる方々の存在もあって、キリストの弟子として生きるための聖書の用い方を共に分かち合っております。
 いつも、クラスが終わると職員の方がお迎えに来てくださいますが、先日、「廊下まで笑い声が聞こえてましたが、何をしていたんですか?」とおっしゃいました。何をしていたかといえば、聖書の学びですが、ご苦労の絶えない収監生活の中で、少しでも和やかに過ごしていただければ、と必死でした。その姿が笑いになっているだとすれば、感謝なことです。所内の廊下に響く笑い声が、他の方々を呼び寄せるきっかけになったのでしょうか。まったく次元が違いますが、パウロとシラスの賛美に耳を傾ける獄中の方々の姿が思い浮かびます。
 地道に種を植え続けること。たとえ私自身が実りを見ることができなくとも、置かれた場所でそれぞれの方々が主とそのみ体である教会につながってくださることを祈る日々です。