宣教

11月15日「救いの十字架」

ヨハネ5:1〜9
 ハワイにいる時、労働ビザが降りず、仕事がありませんでした。そんな時、知り合いの方から観光案内をしてみないかと誘われました。その日から、ハワイの名所に出向いてガイドの話す内容に耳を傾け、ヒーリングスポットと呼ばれる場所を巡りました。
 ベトサダの池もそんなところだったのでしょう。そこには、日々、癒やしを願う人々でごった返していました。傷を追った人々が集まると美しい支え合いがあるように思えますが、実際には、競争原理の働く場であったことが示されています。日々、そのような光景を目にしてきて、かれこれ38年。そんな人がいました。主イエスは、その人に近づき、立ち上がって床を担ぐように促します。
 その人は癒やされましたが、癒やしてくださったのが誰だか分かりませんでした。なおかつ、その日は安息日で、床を担ぐことは禁止されていたのです。
 ヨハネによる福音書では、この事件が十字架への第一歩であったことを示しています。もし、あなたの問題が解決し、病が癒やされたことが、主の十字架につながったと知ったらどうでしょうか。十字架とはそのようなものです。十字架とは、どこか遠くのものではなく、すべて、あなたのためなのです。