宣教

1月10日「初めから終わりまで」

詩編31:14-15  黙示録1:8
 「始まり」と聞く時、クリスチャンである多くの人は、創世記1-1~の「初めに、神は天地を創造された。~神は言われた。『光あれ』。こうして光があった。」を思い出すことでしょう。
 これほどまでに鮮やかに、世界の始まりを記しているものはありません。加えて人間の始まりと本質も明らかに記されています。主のものなる私です。
ここには、神と人間との深い関係の洞察のみならず、すべての事柄の理解に関するバックボーンがあります。この、「初めに神は」の言葉は、「初めに言葉があった」(ヨハネ1:1)を想起させます。
 聖書は、すべての始まりは「神の御手」の中に始まるだけでなく、終わりもまた、「神の御手」にある(詩編31:15口語訳)ことを明らかにしています。
 一年を始めるこの時、わたしたちは自分の始まりも終わりも、神の御手にあることを心に刻み、慈しみの招きの中を、生きる者でありたいものです。
聖書の最後の「ヨハネの黙示録」1章8節で、「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られるお方、全能者が…『わたしはアルファでありオメガである』」と宣言します。インマヌエルの主と共なる、「御手にあるわたしたち」の一年が祝福の約束をもって始まりました。何という幸いでしょう。