宣教

1月17日「聖なるリノベーション」

イザヤ64:7 コロサイ3:16〜17 イザヤ書の預言に描かれた暗い終末の様子に、一筋の光のように差し込まれた御言葉があります。私たち人間は粘土であり、主なる神が、私たちの陶工だという御言葉がそれです。
 人は個性を持っています。怒りっぽい人、小心者の人、人といるのが好きな人、そうでない人…。私たちは言います。「私はこういう性分ですから。」
 本当にそうでしょうか。自分は絶対変われない、という思いはどこから湧いてきたのでしょうか。いずれにしても、その自己判断が、私たちの人生の行く末を決めていきます。しかし、神は私たちを主イエスのようにしたいのだと聖書は語ります。果たして主は怒りっぽかったでしょうか、小心者だったでしょうか。あなたが主のように変化すると、どんな人になるのでしょうか。
 もし、あなたが身体のどこかに不調を抱えたとしたら、助けを求めたり、病院に行くはずです。心も同じではないでしょうか。
 もし、私たちが勝手な自己判断から離れて、心のリノベーションを神に発注し、その工程のすべてを委ねたとしたら、一体どのような素晴らしい変化が待っているのでしょうか。