宣教

1月31日「信仰の栄冠」

黙示録3:7−13
 初期キリスト教会の歩みを見るとき、大きくて綺麗な会堂や大勢の信徒がいなかったことが分かります。人間的に見れば、彼らは小さかったのです。もちろん、フィラデルフィアの教会も同様で、町自体も小さなものでした。
 では、教会の真価はどこにあるのでしょうか。聖書は、外観や人数ではなく、たとえ小さくても、貧弱であっても、キリストの言葉を固く守っていた人々が賞賛され、逆に、外見や人数の面でいかに優れていようとも、中身の伴わない人々について厳しく言及しています。
 この町も例に漏れず、迫害の中にありました。しかし、そのような中であっても、しっかりと福音の立ち続けた方々がいたようです。主イエスは彼らを喜び、ご自身の聖所の柱とされると約束します。つまり、私たち一人ひとりは神の聖所の柱とされているのです。柱が一本欠けたらどうなるでしょう。建物は崩れ去ります。つまり、柱は一本たりとも外に出ない存在として、救いの確信を与える象徴的なものなのです。
 柱であるあなたには、神の御名と天国の住人であることの印が刻まれています。あなたはこの素晴らしい約束を信じますか。