宣教

3月28日「信仰の実り」

 ルカ18:35〜43
 使徒の働きに見られるように、福音はしばしば敬遠され、揶揄され、迫害されました。それは、福音そのものである主イエスの十字架と復活を見れば明らかです。なぜなら、神が人となり、身代わりとなって十字架で死に、復活されたという荒唐無稽な話を弟子たちは携えていったからです。多くの人はこれを受け入れませんでした。しかし、そんな中にあっても、福音を救いと感じ、生ける神、主に出会った方々がいました。
 エリコの町に、生まれつき目の見えない方がいました。彼のところにも、イエス・キリストの話は届いていました。その方は、目の見えない人の目を開き、手足を癒やし、霊的な解放をもたらし、死者まで蘇らせる。そんなことがあるだろうか。そう思ったに違いありません。
 やがてその日が来ました。主がそばを通りかかったのです。彼は叫びました。「ダビデの子よ、憐れんでください!」人々は彼をたしなめましたが、やめませんでした。なぜでしょうか。
 聖書は疑い迷いを否定しません。詩篇はそのような歌で満ちています。しかし、疑心暗鬼の中で彼らが叫んだ相手は、主であり、その主こそ、救いの神だったのです。