宣教
4月18日「神が与えたいもの」
ルカ11:1〜13
弟子たちは、主イエスのみ前に祈りを教えて下さいと願い出ました。与えられた祈りの文言と、その後に続くたとえ話から、主が、弟子たち、そして私たちに知ってほしかったこととは一体何でしょうか。
もちろん、それは祈りについての考え方に光を当てるものです。しかし、たとえ話に登場する「執拗に頼めば話を聞いてくれる友人」のことが神だとするならば、神は執拗に頼まなければ言うことを聞いてくれない方ということになるのでしょうか。
子どもたちは与えられるまで求めていく傾向にあります。何度も何度も同じことを願い、諦めて与えることもあるでしょう。実際、神がそのような人々に対して願い求めるものをお与えになった事例も聖書に記されています。しかし、執拗に願った当人たちにとって与えられたものが有益だったかどうかは疑問が残ります。
多くの場合、彼らが求めたのは地上における一時的な解決や豊かさでした。しかし、神が与えたいものは聖霊です。嵐の中でさえも眠ることができるような平安と、神は必ず与えてくださるという信仰。神が与えたかったのは、その実りをもたらす真理の御霊なのですから。