宣教

5月16日「主の祈り 後編」

マタイ6:9〜14
 物質的に豊かである時、誰が日毎の糧を祈るでしょうか。「私たちに必要な糧を、『今日』与えてください。」と祈る言葉には、私たちの視点を、いつでも「今日」に向けるものです。今日、この瞬間、必要な糧が与えられているとしたら、感謝しかありません。また、備えられていないとすれば、それが本当に必要なことかどうかを考えるきっかけになるものでしょう。糧は黙っていたら与えられるものではなく、すべて神からくるものなのです。
 また、他者との関係性において、その人を「赦す」とはどのようなことなのでしょうか。主イエス・キリストは、特にそのことに注目しておられるようです。主は「もし、人の過ちを赦すなら…」と、まず私たち側の姿勢を求めておられます。問題が深ければ深いほど、怒りが強ければ強いほど、赦せない人がいるものですが、神はそのことから私たちを解放しようとしておられます。しかし、神があなたを解放しようと試みても、あなたがそれを受け入れられないのであれば、決して解放されません。主はそのことをおっしゃっているのです。
 主の祈りの後半は、私たちを日々、解放へと導いてくださるものなのです。