宣教

5月23日「聖霊による一致」

使徒2:1〜4
 教会はいつも聖霊とともに歩んできました。かつて、聖霊に満たされた人々の言動は、人々を驚かせるものであり、かつての過ちが神によって回復されたことを宣言するものでした。
 聖霊が臨む時、そこには「しるし」が伴います。はじめての聖霊降臨の日、そこには耳や目からのインフォメーションがありました。私たちは聖霊が降る音を聞いたことが、あるいは目で見たことがあるでしょうか。そこには大いなる驚きがあります。
 聖霊に満たされた人々が導かれのは、何だったでしょうか。それは、言葉を語るということでした。それも、他の国々の言葉で語ったというのです。しかし、方法や形式は違えど、内容は一致していました。それは、主イエス・キリストの十字架と復活という、神の偉大なみわざだったのです。
 かつて、自己中心的な欲望を満たすために建て上げられた塔は崩れ去り、人々は異なる言語を与えられ、散らされました。原初の人間から受け継がれた罪ゆえに背負わなければならなかった重荷は重く、自力での解決は不可能でした。
 今、その重荷は主の犠牲によって取り去られ、人をつくりかえる霊が注がれたのです。