156センチの視線

1月23日「とりなし手の存在」

 14日の朝、流雪溝の蓋を閉めようとスコップを振るうと「ピッキーン」という音が聞こえたような痛みが腰に来て、「まさか!?」と思いましたが、そのとおり。ギックリ腰でした。
 ハワイにいるとき、洗面所の下に落ちたハサミを取ろうとかがんだ時に、同じ音がしたことを思い出します。その時は立つことも困難でした。治療に行った病院でクリスチャンの医師に言われました。「君は姿勢が悪い。キチンとした姿勢で歩くと、自動的に腰をマッサージしてくれるように神は身体を造られたんだよ。」
津軽に来て、体重も増し加わり、車が主体の生活で運動不足です。なるべくしてなったのです。
 元々、腰が弱かった私は、高校のサッカー部ではコルセットを巻いて試合に出ていました。それは私の身体的な弱さでした。その弱さに対するケアが不足していれば、当然このような結果になるのです。
 私のギックリ腰を知った教会の方々は祈りのリストにそれを加えてくださいました。子どもたちも祈ってくれました。娘は毎日、腰に湿布を貼ってくれました。私以外のすべての方々が、私のために動いてくれたのです。
 この愛、祈り、献身によって、信じられないスピードで癒やされました。しかし、必要なのは、それを知ってどうするかでしょう。