宣教

2022年3月13日「人生=礼拝」

創世記12:1~8
 私たちの教会は、日曜日の礼拝が10時から始まります。これは神の家族が顔を合わせ、共に神を礼拝する特別なイベントです。しかし、教会を出ると、次の礼拝までにガス欠になったりしませんか。
 アブラハムは特別なイベントごとに礼拝をささげていたのでしょうか。彼は行く先々で祭壇を築きました。これは彼のパーソナリティであることを超えて、イスラエルという神の民のアイデンティティになっていくのです。イスラエルがその事をやめたとき、彼らは国を追われる自体に直面するのです。
 あなたは祭壇を築く人生を送っているでしょうか。それは、神を礼拝することと同義です。つまり、人生とは、神を礼拝することとイコールなのです。詩篇記者は、人間は神を賛美するために創造されたと記しています。ガス欠になったり、自己中心的な判断に頼り切って失敗したり、あなたはそのようなことをしなくてもよいのです。
 主イエスは多忙な日々の中でさえ、ひとり礼拝の時を持っていました。そこから力を受けとっていたのです。進むべき道、将来のビジョン、否定的な感情からの解放。祭壇には、神が与えてくださる、あらゆる恵みで溢れかえっているのですから。

※オンライン礼拝のため、録画はありません。ご了承ください。