宣教

4月10日「十字架の証人」

詩編23:4   ルカ23:32~43
 わたしたちがイエス・キリストと出会うとき、そこに思い煩いからの解放が与えられます。有名な詩編23篇「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」ことを信じることが出来ます。「同行二人」という言葉があります。そうです!わたしたちの道行きは、インマヌエルの主と共なる歩みです。特別の時においてそうなのではなく、いつ、どんな時も「御手の中」(詩31:15)なのです。
 ゴルゴタの丘には3本の十字架が立ちました。中央にはキリストが、その両側には二人の犯罪人が付けられました。この2人のために、また、十字架を仰ぎ罵る者達の為にキリストは死なれました。敬虔な者達のためにではなく、神を畏れぬ者達のために。
 何よりも先ずこの二人のために、主は死に渡されました。最も相応しくない彼らのために。主は最後の晩餐に於いて明言された救済を実現されたのです。「わたしたちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになる」(ローマ6;8)とパウロは宣言します。とすると、この強盗たちこそ!
 救われない一人を特定するのではなく、「最初に」キリストの救い、贖いを受けた証人がここにいるのです。この二人の犯罪者に続くのがわたしたちです。

※ ビデオの録画にエラーがあり、動画の公開ができませんでした。楽しみにしてくださっている皆様に大変ご迷惑をおかけし、申し訳ありません。