宣教

7月10日「天国の秤」

詩編23:1-3  マタイ20:1-16
 「天の国は次のようにたとえられる。」で始まる主イエスの譬えは不思議に満ちています。この譬えを読んで、「なるほど、そうゆうことか!」などと理解できる人は少ないと思います。わたしたちの一般的理解からは遠く隔たっているからです。何度もこの御言葉を取り次いだことはあるが、正直に言うと、自分で語ってみてもすっきりしないのが本音です。
 今回、「何を語ろうかな?」と考えていた時、この『天の国』の譬えが心に留まりました。「一日1デナリって何だろう」と思いめぐらしました。1日働いて得られる労働者の最低賃金が1デナリです。
 ぶどう園の労働者とは、わたしたちのことであると考える時、わたしたちの持っている物差しでこの譬えを考えることから解放される必要を覚えました。イエス様と出会ったすべての人が、この人たちであることに気づきました。彼らは天国を手にしました。
 1デナリとは、ほかならぬイエス様ご自身でした。天国とは、イエス様ご自身がご自分を与えることによって与えられるところなのです。わたしたちの能力にも働きにもよらず、ただ一方的な愛によって。
 「主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない」のです。神様は気前の良いお方です。わたしたちは天国の物差しの中にいる幸いな者です。