156センチの視線
7月17日「寄り添うこと」
先週の水曜日、東奥義塾の聖書科授業に行ってまいりました。1年生を担当するのは初めてでしたが、救いの証しと牧師になった召命について話をしました。
若い頃の失敗談を笑って話せるようになることはとても大きな変化です。何か悪さをすると、すぐに明るみに出たり、みんなでいたずらをしたのに私だけがバレて怒られたものです。その一つひとつが、生徒たちの爆笑を誘っていました。
そのような道から救われたことは奇蹟であり、大きな喜びでした。「牧師になりなさい。これまでのことをすべて用いてあげよう。」という声は、本当に主のみ声であったと今は分かりますが、神学部にいるときも悩みの中にいました。しかし、その都度、他の道を閉ざし、牧師にならない道を模索する誘惑に陥らないように導かれてきました。
すでに生徒たちとは30年の年の差があります。彼らの自己紹介を提出してもらいましたが、音楽のアーティスト名や映画、アニメのタイトルは知らないものばかりです。一つひとつを調べ、その生徒がどんなものが好きなのかを理解しようと必死です。
聖書学者でもなく、称賛されるような牧会者でもなく、誰しもが通る道を通ってきませんでした。私にできるのは、彼らに寄り添おうと努力することだけです。 牛山