156センチの視線

8月14日「裁きではなく、愛で」

 LGBTという言葉を聞いたことがあると思います。これは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、の人たちの頭文字を並べたものです。この4種類の人たちという意味ではなく、「異性を愛することや、体の性別を生きていくことが当たり前である」と考えられている社会の中で生きづらさを感じている様々な人たちの総称としても用いられています。(『LGBTとキリスト教―20人のストーリー』) これ以外にも様々な性を名乗る人たちもいます。耳にしているこれらの人たちを、あなたはどのように考え理解していますか?
 教会はこのような人たちと否定的にかかわってきた歴史がありました。特に福音主義の教会やカトリック教会においてそうでした。
 日常的に礼拝に出席し、聖書を読み、祈りをささげる信仰生活の中で、LGBTとどのように出会っていますか?わたしたちを導くのは、「聖書」です。更には、「イエス様だったらどうするだろうか?」と問うことのようです。「姦淫の現場で捕えられた女に」「徴税人に」「シカルの井戸辺で」…の主の姿を。囚われることなく、キリストの眼差しを与えて戴きましょう。「主よ、哀れみ給え!」と祈る道の備えを感謝しつつ。 石川