宣教

11月27日「神を仰ぐ時」

歴代誌下20:1~19
 人生における絶体絶命は一度きりではありません。それこそ、山あり谷あり。それが私たちの人生です。主イエスはおっしゃいました。「あなたがたは世にあっては艱難がある。しかし勇敢でいなさい。私はすでに世に勝った。」と。
 今、ヨシャファト王も危機的状況に陥りました。目の前に広がっていたのは、もはや自力でどうにかなるような簡単な問題ではありませんでした。彼は恐れました。人として当然の反応です。しかし、次に彼が決心したのは、人として多くの人が選び取らない選択肢を選び取ることでした。それは「主を求める」ということです。
 「主を求める」これは世の常識ではあり得ない選択です。危機的状況で誰もしないであろうこの選択は、しかし、自力では無理だと常識的に判断できる状況を一変させる唯一の選択なのです。「非」常識を選ぶと「非」常識が与えられるのです。
 神は「非」常識な方です。神でありながら人となり、神でありながら十字架にかかり、罰を受けるべき人間の身代わりに自らが罰を受ける。これは常識ではあり得ないことです。
 あなたが見たいのは常識ですか、「非」常識ですか。