宣教

1月8日「私の血による新しい契約」

ルカ22:14~20
 世界のどこに散らばっていても春分の日が過ぎた頃、ユダヤ人であれば必ず守るのは過越の食事です。最初に一番若い子供が質問することになっています。「今夜は、ほかのどの夜とも違うのは何故ですか。」それを聞いて家の主人は出エジプト記に書いてある解放の物語を伝えます。「神はエジプト人の奴隷になっていた私たちのうめき声を聞き、奴隷の身分から救い出してくださったのは、この夜だからです。私たちは奴隷だったことを忘れません。苦しみの生活から救い出してくださった神様をも忘れません。」
 十字架にかかる前に、イエス様が弟子たちと一緒にどうしても守りたかったのはこの過越の食事でした。食事の進行に決まった式文があり、ぶどう酒が入った杯から飲む場面が四つあります。一回目の杯の感謝をささげるところまで、イエス様が式文通りに司会を進めているかに見えますが、それから弟子たちの意表を突くことを言います。「今夜は子羊の肉はありません。それに代わってこのパンを分け合って食べなさい。このパンは私の体、このぶどう酒は私の血です。子羊に代わって殺され、血を流すのはこの私です。」ユダヤ教徒が神様と結んだ契約に代わる、新しい契約の始まりでした。