156センチの視線

2月19日「憐れみ深い主」

 猛烈な寒気や大雪など、騒がれていたほどの猛威を振るわず、例年通りの真冬だったのが、先週、何の前触れもなく今シーズン一番の積雪がありました。いつものように雪かきをするために早起きすると、教会と牧師館の間の雪を見て驚きました。と同時に、ため息が漏れました。ヒザ下までだったのです。
 幸いなことに、除雪機のお陰で体力的な消耗をほとんど感じることはありませんが、それゆえに精神的な負担に敏感です。特に、私のような外様は雪国での厳しい冬に毎年やられそうです。「こんな場所に一番最初に「住もう」って言った人は誰なんだ?」とつぶやいてしまいます。
 それはまるで、嵐に気付いて沈んでいくペトロのようです。主イエスを目線の先に捉えていた時、ペトロは湖の上を歩くという超自然的な祝福のうちにいました。そうありたいものですが、雪という名の嵐を前に、簡単に沈んでいく私はなんと忍耐のない人間なのかと頭を抱えます。そのことでどれほど盲目になっていることでしょう。主が見せたい景色を見ることができず、またしても損をしてしまった気分です。
 そんな私を「すぐに手を伸ばして引き上げて」くださる方。主の憐れみに導かれています。  牛山