156センチの視線

5月14日「すべてが用いられて」

 何がきっかけになったのか思い出せないのですが、幼い頃、アルヴェルト・シュバイツァーのようになりたいと思っていました。教会学校で、藤田恒男先生から聞いたのか、母が買ってくれた偉人伝で知ったのかは定かではありませんが、子ども心にもシュバイツアーの生き様に大きな感動を覚えたことを思い出しました。
 パイプオルガンの卓越した演奏者であった彼が、
アフリカ行きを決断した時、師であったシャルル・ウィドールが「本当に君は決心したのか、後悔しないのか」と無念がった時、シュバイツアーは、「神がわたしを呼んでいますから…」と答えたという。その彼が、「キリスト教の本質というものは、イエスの語られた如く、我々が愛することを通してのみ神との交わりに到達するということである。生き生きとした神認識の一切は、我々の心のうちに、それを愛への意思として経験するかどうかに懸かっているのである」と明言する。
 彼は「感謝の人」であったという。それは、牧師であった父によって習慣づけられたものであった。「愛と感謝」は信仰の双生児ということが出来るように思います。「すべてを捨てて」ではなく、「全てを用いて」全力で生きた貴い人生を考える時を与えられて感謝しました。 石川