宣教

6月4日「神が共にいるということ」

創世記39:1~6
 聖書の中にある数少ないサクセスストーリーとして挙げられるのがエジプトに売られたヨセフの物語です。
 ある日突然、身ぐるみ剥がされ、異国に売り飛ばされ、奴隷として生きる日々に追いやられました。彼に試練が来たのです。その時、彼はどう対応したでしょうか。
 「うまく事を運んだ」と記されていますが、それは彼が優れていたからだと聖書は言いません。聖書は大切なことを繰り返す特徴があります。ここで繰り返されているのは、「主が共におられた」ということです。
 主イエスは私たちに、夜の終わりまで共にいる、と約束してくださいました。そして、「うまく事を運んだ」と主のみわざを見るチャンスを与えてくださっています。
 聖書全編を見るときに、主のみわざは何かしらの試練の中で現されるのではないでしょうか。平安と幸せの中にいる時、それは主の臨在の中にいるときであって、罪と試練の中にあるときに見せていただくみわざと感じ方が違うのは、コントラストの問題だと思います。
 今、試練の中にあるのであれば、主のみわざがはっきりと現れる機会でもあるのです。