宣教
6月25日「幸せは主のもとに」
申命記10:12~13
律法である十戒が与えられてから、イスラエルの民はそれによって幸せを得るはずでした。主がそのことをご計画されていたからです。
しかし、実際には律法によって人が人を裁き、できない人たちを脇に追いやる制度として定着してしまいました。神の御言葉は人を幸せに導くものであって、人を陥れたり、裁きのための道具ではありません。しかし、律法の遵守があまりにも難しかったために、その周りに幾重にも壁を作り、人々が十戒に近づけないようにしてしまったのです。
主イエスが来られた時、人々は新しい教えだと驚きました。ご自身が十戒そのものである方の言葉は、それほど本来のものからかけ離れてしまったということでしょう。
心いっぱい神を愛し、人を自分のように愛する。この律法はまさに主の生き方そのものです。しかし、人々はまたしても律法の創始者であり、完成者である主を人々から切り離そうとするのです。それがあの十字架でした。
律法を守ることではなく、律法のふところに生きること。十戒こそ主ご自身であり、すべての基準であると信じる人生こそ、幸せの存在する場所なのです。