宣教

7月2日「何を見ていますか?」

イザヤ40:25~31
 岩木山を見る時、とても素晴らしい山だと感動します。弘前だけがそうではないのです。他の地域でも見え方は違えど、人は自然界に感動を覚えます。そこで、霊山にしてみたり、高い杉にしめ縄を締めたりして拝みます。しかし、聖書は言います。もっと高いところに目を上げよ。
 しかし、高いところに目を上げても、空が広がるだけで、主なる神は見えません。私たちはそこで、神の存在を疑ってしまいます。なぜでしょうか。目で見えるところに神を探すからです。しかし、主は言われます。あなたがたは見えているのに見えない、と。
 すべてをご存知で、すべてをお造りになった方が言われた、あなた方は疲れる時がある。若者でも倒れるんだ、という言葉は真実です。誰しも、疲れ、倒れるときがあります。「しかし」と主は語られます。
 聖書は「しかし」で満ちています。それは逆転の人生であり、絶望からの希望であり、十字架からの復活です。
 あなたには帰ることのできる場所があります。魂の疲れを癒やすのは、魂の専門家でなければなりません。あなたを造られた主こそ、その道であり、真理であり、命なのです。